ダディーズアットホーム
HOME » 建築雑学 » 雪は天から送られた手紙

2013.03.22

雪は天から送られた手紙

「雪は天から送られた手紙である。」という名言を残した物理学者・中谷宇吉郎は
世界で初めて雪の結晶を人工的に作り出す事に成功し「雪博士」としてその名を
世界中に知られたひと。

優れた科学者であると同時に科学啓蒙家であり、文人画家でもあり、そして秀でた
随筆家でもあった多彩なひとなのです。

 中谷宇吉郎雪の科学館アプローチ

[ 記念館のアプローチ部分 芝生のスロープ状広場になっています。この反対側に
中谷博士の実娘である中谷芙二子さんが修景デザインしたグリーンランド氷河の原
の中庭があって、これが見もの!中谷博士が最後に研究したグリーンランドから
運ばれてきた極寒地の石がゴロゴロ、その間から芙二子氏の人工霧が噴き出す
というランドスケープ。 ]


生まれ故郷の石川県加賀市に博士の記念館である中谷宇吉郎雪の科学館
あります。設計者はこれまた世界的有名建築家・磯崎新で1994年に開館したと
記憶している。
当時、建築の世界に入って間の無かったボクは2年前に一級建築士に合格し、前年に
結婚したという環境で世界のISOZAKIにかぶれていた。バブル経済ははじけた後
だったが、まだその余韻は残っていて、当時の磯崎新はフロリダのティーム・ディズニー
ビルやバルセロナのオリンピックアリーナを世に送り出した頃。奈良のコンベンション
ホール(奈良100年会館)の国際コンペを勝ち取ったのもこの当時。

中谷宇吉郎雪の科学館 木造架構のエントランス部分の外観

[ 板貼りの木造架構にトップライトという上段部、雪の結晶と同じ六辺のかたちが
三連並んでいます。内部はエントランスホール・ギャラリーと映像ホールという構成、
周辺の緑で隠れているけれど、この下にRC造の基壇部分がある。基壇部が博物館
としての展示スペース。 ]

94年の初夏、この中谷宇吉郎博士の記念館が完成したというウワサを何かで
嗅ぎつけ、早速、新妻を引き連れて加賀まで車をとばしていった。しかしナントナント、
建物は確かに出来ていたんですが、看板も上がっていないし、駐車場など周辺外構も
整備されていません。
そう、博物館や美術館、図書館なんかもそうですが、建物が出来たからといって、
すぐにその施設がオープンする訳ではないのです。特にコンクリート造の建物はその
湿気を飛ばすため、一定の期間を置いて収蔵物を入れるのが当たり前。
建物が出来た後、展示用の設えの工事が一定時期を置いてから始まるのです。
そんな事とは知らず夏休みを利用してやってきたものだから、何とか見れるところは
見てやろうと勝手に敷地内に入り込み、外部をウロウロ、写真をパチパチ。
窓ガラスに顔を近づけて中を覗き込んでいると、ガラスの向こうに女性の顔が・・・
「あれれ?うちの奥さんの顔が映りこんでんのかな??」と思いきや、彼女は傍に
いなかった。
「あなた、何をしているんですか!(怒)」
中から現れた女性に怒られてしまいました。
「いやいや、決して怪しい者じゃありませんよ。僕は実は、設計事務所に勤めていて、
この建物が有名な建築家の設計という事で、はるばる奈良から今朝、この建物を見る
ためだけにやって来たんです~。(汗)」
警察に通報しないでーって感じで弁明していると、急ににこやかになって「へぇー、
わざわざ奈良から来られたのですか?この建物って世界的に有名な建築家の
設計らしいですね、確かイソザキさん?その話は聞いていますよ。それで見学に
来たんですか!」

女性はこの記念館でこの後、働く事になる方で事務所で開館の準備を担当されて
いる人だった。名前は忘れてしまったけど、理由を説明すると理解してくれて、
まだオープンしていない、内部の展示物工事中の建物の中を隅々まで案内して
くれました。デザインは良いかも知れないけど、こういった所が使い勝手が悪いとか、
ここは、来館者のこどもが落ちたりしないかなと心配だとか、この細いフラットバーは
人が足を掛けたら曲がっちゃうとか、使う側(管理側)の立場でいろいろと感想を
聞かせてもくれました。(もちろん素晴らしいところも)
いろいろと話をしていると、彼女は大学時代、神戸に居たらしく、僕が奈良の生駒
だというと「生駒山にも遊びに行ったことありますよ!」と和やかに応えてくれた。
記念館オープンの時期を教えてもらい、オープンしたら又来ます。今度はちゃんと
入館料を払ってという約束をして帰って来たのです。
もう覚えていないでしょうけど、あの時はご迷惑をお掛けしました。
そして、ありがとうございました。

(こういうトラブルというかエピソードはその後もあちこちで起こしている常習犯であり、
他にどんな事があったかという話はいずれおいおいと)

 中谷宇吉郎雪の科学館 外壁のラスティックな表情の珪藻土

[ 基壇部分のラスティックな風合いの珪藻土外壁。
味わいのある表情をしていて、割肌のボーダーが
表情をキリッと締めています。 ]

いまでこそ珪藻土の塗り壁というのは、どこにだってあって珍しくも何とも
無いけれど、この記念館の外壁は同じ石川県内の能登で産出される珪藻土を
使った塗り壁で引き摺り仕上げのラスティックな表情をした外観。
大学の卒業研究で能登の珪藻質軟岩の許容降伏度なんちゃら(よく覚えて
いない・・・)というのをやっていたこともあってか、妙な親近感を感じたのを
覚えている。外壁全面にこれだけ当時まだほとんど建材としての実績の無い
珪藻土を大胆に使ったのは恐らく磯崎さんのこの建物が初めてのはず。
今住んでいる家の外壁はこの時の印象が強く、珪藻土の引き摺り仕上げで
色合いもほぼ同じ。中谷宇吉郎記念館へのオマージュみたいなもの。

外壁の仕上げがこのような荒々しい表情の塗り壁の場合、雨による汚れが
気になるもの。その後も数回、この記念館は訪れましたが、軒が出ている
デザインじゃないから、数年後に訪れるとやっぱり、かなり汚れていましたね。
風雪に耐え、経年変化で味わいが出てきたという感じではなく、雨露で汚れて
しまったいった印象なので“う~む”といった感じだな。
磯崎さんだから許せるけど、ぼくら下々の設計者だったら、何やっとんねん(怒)と
言われそう。

 中谷宇吉郎随筆「続・冬の華」

中谷宇吉郎随筆「続・冬の華」-生活の実験
[ 「生活の實験」が収録されている随筆集「續・冬の華」 ]

中谷宇吉郎は秀でた随筆家としても有名だったと書きましたが、彼は「生活の實験」
というエッセイを記しています。『續 冬の華』という随筆集の中に掲載されていますが、
科学者ならではの発想と着眼で寒冷地の住宅における断熱性や防寒方法について
細かく述べていて、開口部の建具の設え方には現代住宅へのヒントも多く隠されて
いるように感じます。
(特に雨戸の使い方、設え方などは吉村順三や前川國男の住宅の開口部設えに
通じるものがあって、多くの建築家がこのエッセイからヒントを得ていたのかも
知れません。)
昭和15年に初版が発行されたこの随筆集。事務所の本棚にある『續 冬の華』は
古本屋で見つけた28年発行の第十版。
きつね色に焼けくたびれた本ですが大事な所蔵です。

 今、大阪のリクシルギャラリーでは“中谷宇吉郎の森羅万象貼”なる展覧会が
行われています。先日、近くまで行く用事があったので帰りにちょっと寄って来ました。
中谷博士の雪の結晶に関する研究のあれこれを展示している小さな展覧会で、
記念館のことや生活の實験のことなどは一切触れていませんが、森羅万象に潜む
不思議に目を輝かせ、自然が秘めた神秘への驚異と憧憬の心で科学と向き合った
中谷宇吉郎の足跡を辿ると、おのずと畏怖の念を抱きます。
「雪は天から送られた手紙である。」という名言を残した宇吉郎博士ですが、他にも
多くの明言を残しているようです。「美しくない結晶にこそ価値がある。」という
言葉は人工雪を作る実験の中で数々の失敗を見てきた博士が、天然の雪にも
同様の失敗作があることに気づきます。快心の失敗作の中にこそ真実と本物への
扉が開かれていると思ったに違いありません。含蓄のあるセリフです。

自然が雪という媒体を通じて送る情報の解読にその生涯を捧げたポエニスト的
科学者の眼底に焼き付いていたはずの加賀の光景、柴山潟と白山。
はじめて記念館を訪れたときからもう19年。
暫くぶりにその風景を望みながら博士と同じ思いでぼくは建築に向き合いたいと
思っているのです。 

←前のページへ次のページへ→

Add to Google Yahoo!ブックマークに登録 RSS
特に業務エリアは決めておりませんが、奈良県(奈良市、生駒市、大和郡山市、香芝市、橿原市ほか)、京都府、大阪府、兵庫県、和歌山県、滋賀県、三重県など近畿を中心に ご縁に任せております。
一級建築士事務所 中尾克治建築設計室
〒630-0233 奈良県生駒市有里町117-19
telephone. 0743-76-2744 facsimile. 0743-76-5988