*奈良県建築士会の会報誌に昨年の秋に掲載された記事を
加筆修正して転載したものです。
震災の記憶を風化させず安全で安心な建物を維持するために
奈良県が主催されている小学生向きの耐震講座に微力ながら協力させて頂いている。
学年を問わず申込があった小学校へ出向いていく、いわゆる出前授業。
学校の授業という場をお借りして地震の怖さや揺れ方の違い、建物の耐震性を高める
事の重要性などを子どもたちに伝え、家族みんなで高い防災意識をもち、住まいの
耐震化に目を向けてもらいたいというのが行政の主旨。
現在の小学生は阪神淡路大震災以降に生まれた児童たちで震災の記憶を留めて
いない。その後も国内外で大きな地震災害はあるが、奈良に住んでいる小学生には
その実像はダイレクトには伝わっていないだろう。震災の惨禍の実像と復興への過程
を知り、命の大切さや助け合う事の尊さを学んでもらえると幸甚であるが、一度切りの
限られた時間の中での特別授業でどこまで児童たちの琴線に触れているのか疑問も
残る。こちら側にそれを伝えるノウハウや知識が充分に備わっていない事も事実。
行くたびに自分自身の勉強不足や力の無さも感じたりするのだが、できれば耐震講座
のみならず系統だった連続講座で防災意識も含め、街や人・自然環境に気配りの
できた空間や場所を生み出すにはどうしたらよいか、建築の可能性や素晴らしさを
子どもたちに伝えられる内容に発展したワークショップになれば理想だと感じている。
小学生だけでなく中高生に対しても建築士が対応することがふさわしい住環境教育に
発展すればもっと良いだろう。建築士にとっても学ぶことの多い“共育”の場になること
は間違いない。
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実はとっても似ている「盲導犬パピーウォーキング」と「住宅設計」
ひょんなことから盲導犬候補の仔犬を預かって育てる「パピーウォーカー」を初めて
もう4年。今は3回目のパピー(仔犬)と暮らしているが、最初に預かった犬は見事、
盲導犬になり、どこかの街で活躍中。(どこで暮らしているのか詳しいことは教えて
もらえない。もちろん逢うことは許されない。)2回目のワンちゃんは訓練中で、この
秋には若葉マークの盲導犬になる予定である。(ちゃんと盲導犬になり活躍中!)
良い血統をかけ合わせて盲導犬になるべく生まれてきた仔犬たちだが、最終的に
盲導犬になるのは半数にも満たないそうだ。なれるなれないは優秀か無能という事
では無く、向き不向きもある様だ。キャリアチェンジして他の介助犬や麻薬犬の訓練所
に移ったりペットとしてもらわれて行ったりと、その未来は様々。
どんな道を往くのがその犬にとって幸せなのかは人間には知る術はない。彼らに
とっては食事をし、気持ちよく眠り、すっきり排泄し、異性に出逢い、そして飼い主に
大切に接してもらうことが全てだろう。よく「別れる時、辛いでしょう。」と言われるが、
案外そうでもない。特に犬好きでもないからかも知れないが、犬の方が飄々としていて
あっさりしたものだ。つらく悲しく思うのは一時だが、預かった犬が盲導犬になった時は
それ以上の歓びがある。しかし、そんな感情も実は人間側の一方通行でしかなくて、
犬の身になって考えるというのはそう簡単な話じゃない。
そう言えば設計という作業も相手の身になって考えることだ。例えば建て主の身に
なる、柱や梁など材料の身になる、土地の声を聞くといったように。建築の設計に
実によく似ているのだ。そもそも最初から自分の犬ではないけど名付け親になれる。
そして一番可愛らしい頃(躾が出来ていなくて大変な時期でもあり、排泄の粗相も
多い。)を一緒に暮らす。
そして去っていき、その後は存在感をもって本来の主のもとで暮らす事になる。
建築(特に住宅)も同じで自邸など特殊な場合を除き、基本的に他人様のものを
作る訳だが、プランニングをしている時というのは一番愉しい(もちろん辛い事も
多い。)もの。
設計者がプランやデザインを決め、コンセプトを謳う。おそらくこの頃は建築主以上に
その建物に熱い想いと愛情を注いでいるはず。でも竣工して引き渡せば建築主の
元でその人の生活様に染まって行く。「自分が設計した建物を引き渡すのはイヤ
や~。」なんて駄々をこねる人はいないだろう。その家の在り方の中で設計や
工事はほんの最初の一歩だと思う。(それが最も重要なステップなのだが。)
盲導犬も同じ事。家とワンちゃんを同列に語れるほど単純なものでも無いが、
建築や盲導犬の要諦が何か解っていれば自ずと然るべき流れの中に収まる。
パピーウォーキングで学ぶこともまた多い。犬が居るときは居ないときの楽ちんさ
を感じ、居ない時は居る時の愉しさを想う。このシステムうまく出来ていて一回きりと
思っていても簡単に止められない。拘束されることも多いし費用もかかる、けっして
割のいいことでは無いのだけれどもだ。そんなところも建築の設計と実によく似ている。
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ものづくりのエッセンス
最後になるが田舎生まれの自分は田舎暮らしが大嫌いで若い頃は都会の生活に
憧れた。実家には田畑がまだ残り、道路に面した良い場所だったら宅地や月極
駐車場に転用して不動産収入がガッポリ入る(?)のに!なんて不埒なことを
考えたりもした。ところがどうしたことでしょう、四十も半ばになるとそんな里山の
暮らしこそ自分の原風景だと思うようになってくる。地縁や血縁といったものから
スパッと切れてスマートに生きるのが20世紀モダニズムだったが、今やそうした
ものと緩やかにおおらかに繋がりながら、その中で暮らす事を望むようになる。
時代のニーズか、ただ単に歳をとっただけか・・・。
いずれにしても、人・地域・自然ほかあらゆるものと不即不離の関係で繋がって
いてこそ、そこに人間味というものもがあるし、やわらかな境界線の上で絶妙の
バランスを保つ事、そんな関わりあいの中で生きることがホンモノの「和」の
エッセンスでもある。
さてさて、米や野菜を想い通り作るというのは大変な事で、ド素人の身分では何を
どうしたら良いかさっぱり判らないことばかり。しばらくは見様見真似の修行から
始めることにしたい。
土に根差した「半農半建」の暮らし様と建築様が成就するのは何時のことになるか。
他愛もない話に終始したが、3つの事柄はどれも簡単に理想的な姿を導き出せる
ものではない。建築家・吉阪隆正は生前、「一度掘りかけた穴は10年掘り続けろ!」
と言ったそうです。粘り強くどこまで執念を持って取組むかが大切だということ。
ひとつのことを追い続けることは立派な才能でもあります。理想は高いけど意志の弱い
僕にはそんな強靭な精神力も才覚も無いけれど、もうひとつ大切なことも感じている。
要はそのモノ・コトに惚れこむこと。つまりは愛である。