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2010.09.25

農夫のように平凡で健康な住まい

アッシジ・ダミアノ修道院での芹沢銈介
「芹沢銈介の家」は文字通り、人間国宝に認定されている染色家・芹沢銈介の住まい
である。住まいであると言っても既に芹沢氏は故人であり、ご婦人も故人である。
芹沢の没後、昭和62年(1987年)に芹沢邸があった東京の蒲田から彼の郷里である
静岡市に移築保存された。今は静岡市立芹沢銈介美術館の付帯施設である美術館
の一部として毎週日曜日と祝日に公開されているので外観と一階室内の様子は
見学できる。

芹沢銈介の家(外観)
静岡の登呂遺跡公園の一角にある芹沢銈介美術館のそばに移築された
晩年の住まい。アプローチの舗装も芹沢のデザイン。庭の樹木の一部も
東京蒲田から移植されたものであり、往時のイメージを再現されている
という。


この家は、もともとは宮城県登米市石越町に建っていた板倉だったそうです。一階は
米や野菜、農具などを収納する納屋、二階は雇い人等の宿泊の場として使われて
いたとの事です。民芸運動に参加していた芹沢は東北を訪れた際、この板倉を見て
惚れこんだのでしょう。無理無駄のない実用の美、簡素で朴訥とした雰囲気、使い込ま
れるほどに味わいが深まる自然素材でできた造形と空間は目利きだった芹沢の眼に
止まったことは不思議ではありません。

この板倉に惹かれた彼は昭和32年(1957年)、62歳のときにこの板倉の所有者だった
宮城の伊藤家から譲り受け東京蒲田に移築したのです。その頃の芹沢は鎌倉市津の
農家の離れを借りて仕事場とし、独居を愉しみ製作に打ち込んでいた時期でした。
型絵染の人間国宝として認定されたのはその前年昭和31年(1956年)の事でした。
還暦を過ぎてまさに人生を謳歌していたようです。

さて、移築したその建物はデザイナー芹沢銈介の手によってリノベーションされていき
ます。随所に彼らしい工夫とアイディアで建築に新しい息吹を吹き込んでいきました。
二室に分かれていた一階の間仕切壁を取り払い土間床の一部を残しながら松材の
朝鮮張りの板床に改造し、自らデザインした建具や調度品を設え、柳宗悦のアドバイス
により南面に出窓を空けて陽光を呼び込み、重厚感のあった東北の米蔵は見事に
瀟洒な住まいへと生まれ変わったのです。

芹沢銈介の家(内観)土間から板の間を望む
芹沢銈介の家(内観)蒐集品や作品
一階の応接室は芹沢の蒐集品の数々が。メキシコ、イギリス、フランスや
日本の家具調度品や木工品が集う。中央のペンダント照明はフィンランド製。


芹沢自らの言葉では次のように述べられています。

「・・・私の部屋は、先年宮城県の北部から古い建物を移築したものである。
もとは二つに仕切って床のあるほうに飯米を、土間のほうには農具や野菜を
入れていたのを、間の壁をぬいて一部屋にして使っている。二階に十畳二間
があり、北側に外屋を建て増した。建具をかえ、南に窓をあけたほかはあまり
手を加えず、西に少しふれているので寒暑ともにしのぎよく、常には客を迎え、
おりにふれて惜しげなく居間、仕事場、物置きにも使えて調法している。・・・」
                          (芹沢銈介著『私の座辺』より)

この応接間で寛ぐ芹沢の写真がありますが、好きな物を廻りにはべらせ至極ご満悦な
雰囲気が伺えます。ちいさな子どもが好きなおもちゃを部屋いっぱいに広げ嬉々として
遊んでいるのと似た感じがするのです。
オトコというのはいつまで経っても子どもだというのはこういうことですね。

芹沢蒐集のお面

この家で彼は作品の構想を練ったり、型紙を彫ったり創作の場としても使いましたが
主に応接室として使ったそうです。来訪者が先ず通される芹沢邸の顔と言うべき場所
で彼の人となりを感じさせる作品や蒐集物が来訪者と芹沢をつなぐ仲人役になって
いたのでしょうか。

芹沢銈介の家(内観)南に設けられた出窓
芹沢銈介の家・自らデザインしたスチールの椅子
芹沢の師匠的存在であり民芸運動のリーダーだった柳宗悦のアドバイスで
作ったという南側の出窓。上げ下げの内障子で調光する仕掛け。
隣の引き違い戸も芹沢のデザイン。シンプルでバランスのとれた造形だ。
下の写真のスチール椅子も芹沢デザインによるもの。座ると背もたれが
しなり、なかなかの座り心地である。


染色界の重鎮で人間国宝にまでなった芹沢銈介ですが本の装幀などでも素晴らしい
足跡を残しています。どうやらインテリアデザインや家具デザイン、庭園デザインでも
優れた才覚の持ち主であったであろう事が「芹沢銈介の家」を訪問したら伺えます。
もしこの人が建築の世界に身を置いていたならきっと近代建築の歴史に大きな功績を
残したことでしょう。

「ぼくの家は、農夫のように平凡で、農夫のように健康です。」
芹沢銈介が残したこの滋味あふれるセリフは深く低く、僕の心の奥で通奏低音のごとく
響いている今日この頃なのです。

芹沢銈介の家・アプローチ

芹沢銈介の家に向かうアプローチ。生垣でフレーミングされたヒューマンスケールの
路地が素晴らしい。
ちなみに最初にあるスケッチは、芹沢が71歳の時、欧州を巡る旅に出た時に
イタリア・アッシジにて撮影されたスナップ写真を見てスケッチしたもの。場所は
ダミアノ修道院の前とのことだが、このスナップに写る芹沢の風貌は他の写真とは
随分違い(他の写真ではもっと温厚な顔つきがほとんど)渋みがすごい。
ぼくはこの写真が一番気に入ってスケッチしてみましたが、メガネを丸メガネに
変えると何となく晩年のコルビュジェに似てませんか!?

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