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2009.12.26

吉備路巡礼VOL.1

このコンテンツでは建築や町並みを巡るいろいろな旅の数々を紹介していきたいと
思います。
最初の旅は吉備路の旅。なぜ岡山へ?特に理由などありませんが魅力的な
建物や町並みがたくさんあるので。その中から厳選して、関西からなら1泊2日で
見て廻れるコースを設定してみました。

今回の訪問地は備前市にある閑谷学校、そして倉敷。翌日午前は備中高梁
午後は吹屋へ。どこも一級品の町並みと建築の宝庫です。

まるで掌の中に抱かれたように山間に佇む日本最古の庶民の学校、閑谷。江戸時代
からの家並みに加え大原家という巨大パトロンに恵まれて、次々と魅力的な都市施設
を加え美しい町並みを形成してきた倉敷。備中松山城を抱く臥牛山の山すそにひろがる静かで瀟洒な城下町、高梁。銅山とべんがらで富を築き見事なまでの朱に染め
抜かれた吹屋。言葉では言い表せない素晴らしい空間がそれぞれにあります。

さてVOL.1では先ず閑谷学校へ!
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特別史跡、旧閑谷学校は地名の通り、閑静な山に囲まれた谷あいに位置しています。
山々を背に豪壮な国宝の講堂をはじめ、儒教の祖・孔子を祀る聖廟、創学者・池田
光政を祀る閑谷神社、校門などの重要文化財。それらの建築物、構造物はどれも
精緻な日本建築の粋をこらし、300年を超える星霜にも微動だにしない粛然とした
姿をいまも展開してします。
寛文10年(1670年)に岡山藩主・池田光政が儒教に基づく士庶共学の学校を
この地に開いたことが閑谷学校の歴史の始まりとなる。
士農工商の身分制度が厳しかった江戸時代中期に藩士だけでなく、農民など庶民の
子弟、他藩の好学者にまで門戸を開いた学校は岡山藩が始めてであり、
当時としては先進的な教育の場であったのです。
以来、昭和初期まで幾多の苦難と変遷をくり返しながらも、連綿とその灯を守りついで
きたわけですね。一地方の郷学校がこのように長きに渡って続いた例は日本国内は
もとより世界の教育史にも例が少ないと言われています。
おそらく、世界で最も古い庶民の学校のひとつではないでしょうか。

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国宝の講堂はどの角度から見ても、
日本建築独特の美しさを見せてくれる。
回廊の柱、花頭窓、烏ふすま、そして
備前焼瓦。
直線と曲線が呼応しながら調和する
様が素晴らしい。

 


閑谷学校の建築物群の中で最も重要で建築学的にも貴重な建物がこの講堂です。
学生たちに孔子の教えである論語など四書五経を教える中心殿堂だけに改修をした
永忠の意気込みも相当であったといいます。

sizu003地元をはじめ、各地から熟練の宮大工を集め、学校の南の街道沿いでは
備前焼瓦を焼く窯場は昼夜の別なく
煙が立ちのぼった。
静かな山間におびただしい職人たちが
入り込み、突貫工事で壮麗な講堂が
出来上がったのです。

 

創建当時の講堂、学房、聖堂などは簡素なかや葺きであったが、学校奉行であった
津田永忠が元禄14年(1701年)までに大改修をし、現在のような壮麗な構造物群が
出現した。 これら閑谷学校の重要な建物は一度も火災で焼失したことが無い。
奇跡に近いが、単なる幸運だけでは無い。講堂などの建物群がある一角と火事を
出しやすい食堂や厨房、学寮は火除山と呼ばれる人造の防火丘陵で完全に遮断
されている。火除山から東に位置する講堂など重要建築物はすべて火気厳禁!
わずか講堂の隣接する飲室に湯を沸かす囲炉裏があるだけだ。
学校を創った永忠や棟梁たちが、いかにこの教育の殿堂を火災から守り、後世に
遺そうとしたか、その執念ともいえるような気配りがうかがえます。

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閑谷の建築の美観を一層引き立てているのが、備前焼瓦であることはいうもでも
ありません。備前市の伝統産業である備前焼(伊部焼き)と同じものであります。
しかしながら、屋根瓦としての性能は決して一級品でないのですね。
閑谷の建築物の屋根瓦に下は、野地板の上に杮葺きをし、その上に檜材の流し板を
敷くという三重構造で漏水を防いでいます。

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また、瓦の下には同じく備前焼でつくられた排水パイプを設置して水はけをよくして
いるのです。ただ美しいだけでなく、この屋根ひとつとっても江戸建築の精緻な工法、
それを支えた職人の技量と心意気。
地元伝統産業(芸術)を取り入れるという想いがひしひしと伝わってくるのです。

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楷の木に包まれて隠れる聖廟。
右手は閑谷神社です。
聖廟に登る十九段の石段の両脇に一対の
楷の木が枝葉を広げています。
閑谷を代表する景観のひとつであり、
秋には向かって右が黄葉、左が紅葉します。
孔子にちなんで、この楷の木を“学問の木”と
閑谷では呼ぶようになり、落ち葉を拾ってかえる
受験生も多いとの事。
この写真は9月後半の撮影なので、
まだ緑みどりしていますね。

 

備前焼瓦と並ぶ、閑谷の名物が石塀。校門の左右から学校全体を取り囲むように
裏山までひとつなぎになっている。高さ2m余、幅1.9m、総延長765mにおよぶ。

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丸みをおびたかまぼこ型の表面は硬い水成岩の切石を不整形に積み重ねている。
その目地はねむりと呼ばれる隙間のないピシッとした意匠である。表面に苔もなく、
目地からは雑草も生えていない。これは内部の水成岩を砕いた栗石を丁寧に水洗いし、草の種子をとり除いた上でびっしりと詰め込んだ構造になっているからである。
屋根同様、なんという手の込んだ仕事でしょうか。

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この石塀を一目見るとこれは外敵から身を守る城郭か、大規模な防塁と感じるが、
はたして学校にこれほどの石塀が必要だったのでしょうか?
石塀は元禄14年(1701年)新講堂と同時に完成したと伝えられていますが、
その造営の意図は何であったのか、今もなぞであるのです。

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講堂の大屋根は2段になった入母屋である。
備前焼瓦はしころ葺きという凝ったものである。一方、石塀は巨大な竜のうろこの
ようであり、石は背後の山を造成した折に出たものらしい。鎮守の山を切り崩した
その素材を学校の領域を守る部位に変換している点がおもしろい。

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講堂の内部 10本のケヤキの円柱の外側が庇の間、内側が内室。
床板は鏡のように黒光りし、花頭窓の明かりが映りこんでいます。
300年以上に渡り、学生たちが磨き上げてきたことが伺えます。

さて、早足で国指定特別史跡である閑谷学校を見て回りました。
次に実際に訪れるときは是非、櫂の木が紅と黄に染め上がる時期に
行きたいと思います。
次はさらに西へ移動して倉敷を訪れましょう!

 

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