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2014.04.02

奈良県の近代化遺産建築探訪 Vol.6

廻る回れ!飛行塔 ・ 土井万蔵の傑作大型遊具

生駒山上遊園地・飛行塔1(土井万蔵設計)

生駒の山上に遊園地が開園したのは昭和4年の事。

日本初のケーブルカーが宝山寺から延伸して山頂まで開通するのと同時であった。
開園とともに建造され、遊園地のシンボル的存在となった遊具が飛行塔である。

設計者は土井万蔵。日本における大型遊戯機械の父と呼ばれた人で、彼が
創案したのが「土井式飛行塔」であった。この土井式飛行塔は大正9年に千里山
遊園に納品されたものが1号機であり、生駒山のそれは数えて16基目にあたる。
ここで万蔵は新たな試みに挑戦している。鉄骨塔屋に展望台の用途を与えたのだ。
展望台に上るためのエレベーターを設置して、そのエレベーター自体をゴンドラ
(飛行機)が昇降するためのオモリにしてしまった。ゴンドラが上昇するとエレベー
ターは下降し、昇降を繰り返す事でゴンドラに乗車する客と展望台に上る客が入れ
替わる仕組みで、一度の行程で二度オイシイ!ということになっている。
(注;現在は展望台には登れなくなっています。)

戦前の鋼製遊具の多くは戦時中に供出され、ほとんど現存しておらず、この飛行塔は
現存する日本最古の大型遊戯施設になり、80年を超えて今なお現役で活躍している。
戦中戦後の激動を見届けてきた近代化遺産だ。
奇跡的に供出を免れたのには或る理由があった。戦時中の生駒山頂は海軍航空隊が
配備され、山頂にあった施設の多くは軍用施設に用途を変え活用された。
360度のパノラマ展望が可能な飛行塔は防空監視所として転用されていたのだ。

さてさて、いくら展望台と飛行塔を兼用すると言っても、他の土井式飛行塔と比べて
やたらと鉄骨量が多いこの飛行塔。もしやして万蔵は忍び寄る戦争の影を感じ取り、
軍用施設への転用も意識して供出阻止を目論んで、このような頑強な設計にしたの
だろうか?  そんな妄想をしてみるのも愉しい。

飛行塔2
飛行塔完成当時


(注)この文章は(一社)奈良県建築士会の会報誌に掲載された内容を筆者が一部、
   加筆修正したものです。

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