この写真はどこでしょうか?右手に見える赤茶色の高いビルがなんだか知ってる人
はすぐにどこか判るはず。Gメン75にも出てきました。(古っ!)
東京駅丸の内駅舎(国指定重要文化財)中央口を出て皇居(国指定特別史跡)まで
一直線に結ぶ都市軸である「行幸通り」。(いい名前ですね。幸せになって行く通り
ですから。*注)幅が73mもありイチョウ並木でクッキリとパースペクティヴがあります。
雲のレイアウトも奥行きを与えています。都心の中にあってこれだけ視線が通り抜ける
場所はそんなにないと思うのですが、どうでしょうか。日本の首都の玄関口に降りた
時、皇居(江戸城址)の全景が見渡せるような広がりがあれば空まで視線が抜けて
いきもっと素敵かもしれません。(丸の内にビルが立ち並ぶまではそうだったのです。)
先の赤茶色の高いビルは建築家・前川國男の代表作のひとつ「東京海上ビルディング
(現・東京海上日動ビル)」。
皇居を見下ろすような高いビルは美観上も断じて認められないとする、いわゆる「美観
論争」に巻き込まれた曰くつきのビル。敷地の60%以上を空地とし公共広場にして
開放することで新しい都市景観の創出を目指して計画されたビルです。(敷地いっぱい
に建てない代わりに高く積み上げるという発想)当初は地上32階建て、高さ130mの
日本最初の超高層として構想されましたが、足かけ5年の歳月をかけ政治問題まで
発展した「美観論争」の末、計画者側が自主的に高さ100m以下に抑え、地上25階
建てに変更して着工されたのです。前川國男が設計をスタートしてからビルが竣工する
まで実に10年近くがかかった訳です。
建築そのものは高く評価されている名建築ですが、10年近くもこの論争に渦中におか
れた建築家はどんな思いだったのでしょう。「景観」とは本当に難しいものです。
丸の内はビジネス街として最高の立地だそうです。最新技術を駆使し最新の設備を
まとった最新モードのオフィスビル群の景も悪くは無いのですが、NYのセントラル
パークのような都市公園がここにデンとあり、皇居外苑と一体になった緑のオアシス
だったらいいよなとも思うのです。2012年には現在改修工事が行われている東京駅
(明治の建築王・辰野金吾の設計で1914年12月14日の竣工した東京中央停車場。)
が戦災前のドームを冠した3階建ての姿に復元されるわけですが、その後はこの
行幸通りを外国の信任状奉呈式のために昔のように馬車が通り抜けるとの事。
*注;本来、「行幸」とは天皇が外出すること。
「行幸通り」は丸の内を開発していた三菱が大正2年に道路用地と市有地
を交換し、それまでは掘の手前で行き止りであった道を関東大震災復興
事業の一環として拡幅し、震災時の建物瓦礫などで堀を埋め立てて皇居側
と繋げ大正15年に完成。歩車道分離され街路樹の植栽のほか街路灯も
設置された大通り。
天皇が東京駅から各地に行幸される際や各国大使の信任状の奉呈の際に
利用された。