下の写真は近くの棚田の風景。
私が生まれ育った生駒には、少し山を登っていくとまだまだこのような石積みの棚田が
残っています。こういう風景を見て多くの人は自然が豊富でいいですねと言いますが、
よくよく考えると田畑や石垣は思いきり人工のものじゃないですか。
人間が生きていくための生業として切り開いたものです。しかしその作られ方が生身の
人間の力以上のものが加わっていないヒューマンスケールであり、構成されている素材はこの周辺で採取された自然素材だけでできている。つまりは身の丈に合った範囲で
自然の中で慎ましやかに生きてきた人の生活の痕跡であり、それは永い年月の中で
自然と同化し人工であることを忘れさせてくれるほど不即不離に一対のものとなっているわけです。
できればこれから作られていく建築やその集積である町並みもこのような自然と一対に
なったものであって欲しいと思うのです。
「里山」と呼ばれる一昔前の農村集落はみなそうでした。「里山」には20世紀後半から
慌しく置いてきてしまった過去の意味を無数に見出すことができるのです。
これからの暮らし様を昔に帰れとは言いませんが、過去の意味から何がしかのヒントを
得て新しい時代の生活に活かす事はできるはずです。
「住」を考える事は「食」を考えることでもあり、その先には「農」というものがある気が
ここ数年しています。こういう里山の暮らし、田舎の生活を若い頃は嫌っていましたが
この歳になって、そこに秘められた何かを探ろうとしています。
それには先ず、土を耕せということです。
そして、この棚田の石垣のように自然と呼応する建築を目指したいと思うのです。